21世紀のホールアースカタログをつくる
VAN THE TRIP

ホールアースカタログを知っているだろうか?

スティーブ・ジョブズは「伝説のスピーチ」でこう言った。Stay Hungry, Stay Foolish. どうしてジョブズはこの言葉を残したのか。スピーチの中にはこんなセンテンスがある。

ジョブズがまだ若かったころ「ホールアースカタログ」という本があった。ジョブズたちの世代にとってバイブルのような存在で、独特の詩的なタッチで書かれた紙面は心を突き動かすものだった。その最後のページには、旅人なら誰にでも見覚えがあるような田舎道の風景写真とともに、こんな言葉が添えられていた。「Stay Hungry, Stay Foolish.」それがホール・アース・カタログからの最後のメッセージだった──

ホールアースカタログとはなにか? 都会の暮らしからドロップアウトした若者たちが、自然の中で生きていくための教科書。それだけを言われても分かるようで分からない。ぼくたちがそれを理解するには少し歴史を遡らなければいけない。

ON THE ROAD を生んだビートジェネレーション

1950年代、アメリカ。アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックなどの作家、ビートジェネレーションから物語ははじまる。ビートとは行き過ぎた資本主義や管理社会に対するアンチテーゼ。当時のアメリカ政府やマスコミは消費をあおり、物質的に満たされることが幸せだと喧伝していた。そして、人々は大きな家や最新の家電製品を手に入れるために忙しく働いていた。しかも、大きすぎる家を持つことによって土日は芝刈りに追われ、最新鋭の芝刈り機を買うために、また遅くまで働かなくてはならない。

そんな両親の姿を見ながら育った若者たちはアレルギー反応を示した。「俺たちはあんなふうにはなりたくない」と。彼らは自分たちが受けてきた教育が資本主義の歯車の一部に組みこむための洗脳であることを疑い、権力者が作ったシステムに管理されることに背を向けた。そしてアメリカの荒野に放浪の旅に出た。バックパックを背負い、ヒッチハイクをして、日雇い労働で日銭を稼ぎ、ロックやジャズに酔い、仲間たちとポエトリーリディングをして、生きることそのものを楽しもうとした。そして、システムにのみこまれた人間のことを「スクエア」と呼び、自らを正しい感覚を持つ人間として「ヒップスター」と呼んだ。

ヒップスター。これが「ヒッピー」の語源となる。ビートジェネレーションの勃興から10年が経ち、60年代のヒッピーは独自の進化を遂げていた。放浪から定住へ。「コミューン」を作って仲間同士で助けあい、資本や権力に支配されない自然な暮らしを実践しはじめた。

ヒッピーが生んだホールアースカタログ

ちょうどそのころ、「スチュアート・ブランド」という若者──彼の父親はコピーライターだった──が手づくりの本を売り歩きはじめた。「ホールアースカタログ」それはヒッピーのために作られたカタログだった。いや、カタログと言って片付けるわけにはいかない。これは、インターネットがない時代のグーグルであり、アマゾンでもある。本の中には、火のおこしかたから、モバイルハウスの作りかた、コミュニケーションのあり方まで、生きるための知恵や知識がウィキペディア的に網羅されていた。そして、実践するために必要な物はすべて付属ハガキから入手することができたのである。

その最初のページにはこのようなポリシーが書かれている。

そして、バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」から本編がはじまる。人間の身の丈を超えた物を生み出して地球環境を傷つけることはもうやめよう。自分たちの手の届く範囲で生きようじゃないかという思想からはじまる。書かれている内容は、きわめて実践的。それも、単なる自然回帰を目指すものではない。モバイルハウス、ソーシャルネットワーク、太陽光発電、エコロジー、オーガニック、パソコン……60年代の終わりにしては画期的で、かつ予言書とも言える提案だった。

ヒッピーはどこに消えた?

はじめはカウンターカルチャーとして生まれ、やがてメインストリームとなっていくヒッピーカルチャー。ホールアースカタログはその先駆けであった。結局、ヒッピーは時代に敗れ、スーツを着る生活に戻っていったのだろうか。実は、そうではない。彼らの革命は続いていたのだ。それを知らしめたのが、ホールアースカタログを片手に革命を起こしたスティーブ・ジョブズであり、あの伝説のスピーチであったのだ。

ホールアースカタログが生まれた当時のアメリカは、現代の日本に似ている。そう思わずにはいられない。もちろん、60年代、70年代の日本にもヒッピームーブメントはあった。しかし、当時の日本は高度経済成長期の真っ只中。それも、はじめての高度成長期だった。アメリカはビートジェネレーション以前の1920年代にも高度成長期を経験している。この二周目と一周目の違いは大きいだろう。とはいえ、70年代の日本にも本物のヒッピーがいた。彼らはすでに日本全国に散らばっているが、ゆるやかに解散したグループもあれば、多様性を受け入れながら時代とともに進化していった個人もいる。

ぼくが旅先で出会い、憧れてしまう人たちの多くは、かつてヒッピーと呼ばれていた、ヒッピーではない人たちだった。彼らのような存在をなんと呼ぶべきなのか。70年代の続編たる物語が語られる機会は少ない。が、旅先で直に彼らの生き方を聞いていると、ぼくはいつも「彼らのような顔になりたい」と思うのである。

21世紀のロンリープラネット⇄21世紀のホールアースカタログ

「ON THE TRIP」の表の顔が「21世紀のロンリープラネット」を作ることなら、「VAN THE TRIP」は裏の顔。「21世紀のホールアースカタログ」を目指したい。今はまだ分からないことばかりだが、元祖ホールアースカタログはもちろん、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」や、アリシア・ベイ=ローレルの「地球の上で生きる」など、彼らが生みだしてきた概念を学び、できることならそれを現代にアップデートしていきたい。ON THE TRIPという事業こそが、ぼくたちの旅。会社を通して実践していくことが、ぼくたちの理想だ。

最初のホールアースカタログは64ページだった。それから数年間のあいだに何度も改定をくり返して最終版は446ページにもふくらんだ。ぼくたちの「VAN THE TRIP」もそういうものでありたい。この文章もまた何度も改定を繰り返すことになるだろう。

VAN THE TRIP. ぼくたちの旅は続く。
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